フランス
2007年02月06日
プレスブログなるもの
プレスブログなるものがあって、
記事を書くだけでお金がもらえるそうです。
今募集しているのは
「イギリス&フランスショッピングキャンペーン」だそうです。
「フランスの記事を書こう」と4分くらい考えたのですが、
無理です。
スポンサーが政府の観光局なんで、ヒットマンを派遣されてしまうような記事になるからです。
まあね、フランスはいいところだと思いますよ。
私は嫌いですが。
ご飯はおいしいらしいです。世界三大料理の一つですから。
私の滞在時、2週間のうち10日くらいは中華料理食べてましたが。味云々でなく、ナイフとフォークとチップとしきたりが嫌なんです。
ブランド物とか安いらしいですし。
ビトンとかのお店では、日本人が虫みたいに並んでました。
ベルサイユ宮殿なんかの建築様式、パリのアパルトマン豪勢ですよ。
私は下品だと思いますけどね。
人の国の文化・風習を
とやかく言うのは
最も忌避すべきことなので、
この辺で止めておきます。
そんなのはアメリカ人に任せます。
なんで、サムライがフランス嫌いかと申しますと
疲れるんですよ。
旅に出たときくらい、のほほんとしたいじゃないですか。
でも、フランスだと
背筋ピ〜ンとしないといけない気がして
なじめなかったわけですわ。
亜細亜の街角で、現地の人と下品な会話をして笑っているほうが性に合うんです。
そんな下品なブログですが、つい先日いつもよりカウンターが5倍くらい回る日がありました。
皆一つの記事を目指してました。
その記事が「面白ゲーム」の回です。古いですね。
検索語句が「おっぱい」「おっぱいをチラ見する」「おっぱいをチラ見するゲーム」でした。
みんな(あるいは特定の個人)、そんなにおっぱいが好きなんですね。
感無量です。
実はこっそりランキング参戦中です。
2006年06月14日
パリの小道(後編)
パリの小道(前編)から続く
モンパルナス―パリ
ここには芸術家たちが集まった。ピカソ、シャガール、モディリアーニ、藤田。
彼らはカフェやバーに集まり、親睦を深め、議論をした。
僕はモンパルナスを歩き回った。なぜか人通りが少なかった。
モンパルナスにはカタコンベがある。まずはそこを目指したのだが、そこは閉まっていた。死者にも休日が要ることが、なんだかおかしかった。
歩きつかれたので、裏通りのカフェのテラスに身を休めた。まったく無表情のウェイターが注文を聞いた。こいつも死人だと思った。パリという墓所にぴったりだった。僕には親睦を深める相手も、議論を戦わせる相手もいなかった。偉大な芸術家たちが何を考え、感じていたのかを想像したが、無駄だった。僕もこの町に取り込まれた死人だった。死人に思考は必要ない。苦いコーヒーを飲み、モンパルナス墓地に向かった。
広大な敷地だった。整然と並ぶ墓の中でボードレールのものを探すのは困難であった。何十分もさまよった。死者の国で死人が迷子になっている。生きている者に顔向けができない。やっとのことで見つけた彼の住まいは華美でも質素でもない、ありふれたものだった。ただ、たくさんの花が添えられていた。茎を切られていずれ死ぬ花たち。何故死者に花を添えるのだろう。花たちも死ぬから、お前も安心して死ね、という意味なのか。
彼の墓の前に、何の感慨もなかった。ただのけじめなのだ。僕はノートを破り、フランス語で手紙を書いた。
「お前には負けない。」
僕は手紙をぐちゃぐちゃに丸め、彼の墓に投げ捨てた。
「コラァアァ〜。
ゴミ捨てんなぁ〜」
振り向いたら、墓守?な人がものすごい形相でにらんでます。興奮して早口でいろんなコトバをまくし立ててます、が、まったく分かりません。よくわかんないので立ち去ろうとしました。
追ってきます。
逃げましたよ。ダッシュで。
向こうも走ってくるんですよ。
一区間走って後ろを見たら、
二人に増えてます。追ってきてます。一人の手には熊手のようなものがありました。
捕まったらポトフとかにされそうなので、力の限り逃げました。
カッコつけにいって、
カッコがつかなかったお話でした。
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さっさと押しやがれ、戦争が終わっちまうぞ!!
ベトナム雑貨DANもよろしくお願いします。
2006年06月12日
パリの小道(前編)
僕には尊敬する人がいない。ある人を尊敬するというのは、その人には勝てないと公言しているようなものだ。それが嫌だった。
高校に入るときに面接試験があった。案の定「尊敬する人は。」と問われた。一瞬の間の後、僕は「ボードレールです。」と言った。当時の僕がたまたま『悪の華』を読んでいたため、口から出てしまっただけであり、取り分けて意味のないことだった。ボードレールよりアルチュール・ランボーが好きだったし、それよりも芥川を好んでいた。
授業をさぼって読む「地獄の季節」は面白かった。僕は文学少年を気取っていたのかもしれない。そんな僕が文学の道に進むのは必然であった。
大学では仏文学を選んだ。これだって特に理由はない。たまたま第二外国語で仏語をやっていた結果だ。カフカを好む僕としては異例の選択だったのかもしれない。
研究対象としたのはボードレールの『巴里の憂鬱』だった。だから、漠然とパリに行かなければならないと思っていた。
実際にパリに行くことができる機会が訪れたのは大学3年生のときである。
パリにある語学学校に通うことになったのだ。
僕はパリの町並みが嫌いだ。
圧倒するような存在感を誇る石の建物。カフェだろうがアパルトマンだろうが、僕を睨みつけることを止めない。これらは千年でも万年でもそのままの姿であり続けるだろう。時を止め、永遠にあり続ける。さながら巨大な墓所のように。
語学学校は裏通りにあった。僕は級友と腰掛けながら、窓の外を見ていた。白昼堂々と若者がコインパーキングを破壊し、小銭を集めていた。僕は根元近くまで吸い尽くした「ゴロワーズ」を窓から放り投げた。若者はいぶかしげな表情でこちらを向いた。僕が親指を立ててにっこりすると、彼も笑顔を返した。笑いながらも小銭を集めることを続けていた。
級友は僕と若者のやりとりに気付かない振りをしながら、ボードレールの墓がモンパルナスにあることを教えてくれた。
僕はなんとなくそこに行かなければならないと思った。
みなさーん。サムライのブログですよ。間違ってないですよ。
そして、つづきます。。。
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ベトナム雑貨DANもよろしくお願いします。
2006年03月23日
天皇論 あ ら おふらんす
ステイ先のフランス人宅にて
フランス人婆 「私は日本は好きだ。でもイロイトは嫌いだ。」
サムライ 「イロイト?」
婆 「イロイトはヒットラーと同じだ。
あれはただの侵略戦争だった。」
サムライ 「(ああ、昭和天皇〈博仁天皇〉のことね。
フランス人はHの発音できないからな。)
婆 「植民地を作るのは蛮行だ。
フランスはそんなことしなかった。」
サムライ 「そんなこともないでしょう。アフリカとか・・・」
婆 「違う!!それは、未開の土地の
発展の手助けをしたの!」
さむらい 「(黙れくそババア!
自分のことを棚にあげて、
どの口が
そんなこといえるんだ。
だいいち、お前はベトナムを
忘れたのか。
うすらぼけた頭が、もうちょっと
はっきりしてころの時分だろうが、
どあほ!!)」
上のせりふを言いたかったのだが、またしても言語の壁。
説明しようといろいろ考えていたが、その沈黙を敗北の証しと受け止め、ババアは満足して立ち去った。
この一件でフランス人が嫌いになりました。
(☆☆☆☆☆ ★0個 またしても敗北。言語の壁は厚かった。)
2006年03月22日
学校へ行こう
パリでフランス語の語学学校に通っていたときのこと。
フランス語はまったくの素人ではなかった。
入学試験のときのテストと面接で、なぜか好成績を取ってしまった。
そのおかげで、もっとも高レベルのクラスに入ることとなった。
他の日本人は初級クラス。けっ、カスどもめ。
鼻高々で初クラス。
先生がものすごい美人。おっしゃー。
隣のプエルトリカンのシンディーも極かわいい。よいしょ。
美女の楽園。野郎はほとんど居ない。ふんがー。
神様ありがとう。
つつがなく自己紹介を終え、授業が始まる。
サムライの頭の中は、「授業のあと、どの娘を誘ってCafeに行こうかな・・・」
それのみ。
美人おふらんす講師「今日はディスカッションをします。テーマはEU加盟国間の経済力の格差及び安全保障上の各国の●☆▲・・・▽◎□。では、新しく入ったサムライさん、どう思いますか?」
すみません、テーマすら判りません。
「あわっあわわわ。」
後は沈黙。(The rest is silence.)
シンディーの冷たいまなざし。
授業後、クラスを変えて欲しいと頼み込んだ。
〈☆☆☆☆☆ ★ゼロ 完全敗北〉




